ゴー宣DOJO

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トッキー
2018.11.30 11:02ゴー宣道場

介護の現場の声

昨日、介護職に関するゾウムシ村長さんの投稿(「クソッタレ」な介護の仕事)を紹介したことに対する、デイサービス経営の門下生・bioさんからの異論、およびさらなるゾウムシ村長さんの投稿をご紹介します。

 



トッキーさんのブログで紹介されました内容が、気になりましたのでメールします。

投稿された、ゾウムシ村長さまを否定する訳ではありません、介護の現場では、そのような職場は少なくないようです。
しかし、それをゴー宣のオフィシャルブログにあげていいものか疑問に思いました。
訴えは「介護の仕事をなめるな」ですが、認知症であろう利用者に向けての感情や、そのひどい現場では外国人は働けないであろう内容が書かれていました。

認知症の方の不潔行為は、周囲の対応(介護職員の仕事)によって変化します。
痰をうっかり放って置かれたら、死亡事故になります。(介護福祉士・看護師の仕事)
重度の認知症の方のトイレの見当識障害ケア(介護職員の仕事)は、難しいですが、少なくとも自分の身内を預ける気にならない施設である事は間違いありません。
さらに、介護の仕事をできるかどうかは、人種にかかわらず、その人次第だと思います。
なぜなら、認知症ケアが日本だけで行われているわけではありませんから。
このブログを、パッと読んだら、介護の仕事をしていない職場、すなわち、利用者に対するケアをしていない職場の紹介と、門下生の方の暴言みたいで違和感を感じています。
その違和感ある投稿が、オフィシャルブログにあがった事に疑問を感じてしまった次第です。

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連投失礼します。

デイサービスを営んでいますが、人不足は深刻で求人を出しても、人を選べるほど応募がありません。
選べないから、よほどひどくない限り、条件が合えば採用にしています。
4年間で16人を雇用して、9人が辞めていきました…退職率はなかなかですね。
以前の求人で、連絡が来たのが、69歳男性、61歳男性、64歳女性、69歳男性、69歳男性…。
そのほとんどが、ウチにとって有効な資格を持たず、未経験者でしたので、その時は誰も採用しませんでした。
近所には「69歳の男性しかいないんだな」と錯覚するほどでした(笑)
「外国人労働者でも、優しい気持ちで接してくれるなら来て欲しい」と本気で思う事は少なくありませんでした。

私の知っている事業所には、外国人の介護職を採用している社会福祉法人があります。
管理職に話を聞くと、よく働いてくれるそうです。
問題は、漢字の理解が難しいことと、会話は字面通りのコミニュケーションになってしまうそうです。
介護サービスのうち「地域密着型特定施設入居者生活介護」なんて言われても、日本語を操る我々でも覚えられないし、一体どのようなサービスか想像もできません…漢字多すぎで。
コミュニケーションに関しては、身体の調子を聞いた時に、辛そうな顔で「元気よ」と言われても、記録に「元気でした」と書かれてしまうことがあるそうです…日本人の感情表現は独特ですから仕方がないのでしょう。

ちなみに、私の職場は幸いな事に、現在スタッフに恵まれております!(29~52歳の女性ばかり7人)
決して、私の個人的な好みだけで採用している訳では…ありません…きっと…(モゴモゴ)
(bioさん)

 

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前回の投稿を取り上げて頂けるとは思っていなかったので、大変恐縮です。

しかし私の経験が、公の場に出す価値があると判断して頂いたことは嬉しいです。
時浦師範代、ありがとうございます。

今回はまた違った視点から書かせて頂きます。
ある日のこと、とある介護ベッドのCMを見ていて強烈な違和感を抱きました。
ベッドに寝ている爺さんが、とても介護が必要な人には見えないのです。

しっかりメイクした顔はツヤツヤしており、不自然なほどに純白な髪と髭は何とも丹念に整えてあります。
着ているパジャマも皺ひとつ無いのです。
こんなに綺麗な要介護者など存在しません。あり得ません。

その爺さんが、これまた顔も身なりも整い過ぎな妻や子供たちに囲まれて、誕生日ケーキを渡されます。
その場にいる全員、口が裂けそうな程に口角を上げて満面の笑みを湛えています。
BGMはゆったりしたピアノの旋律と、「ラーラーラー♪」という清澄な女性の歌声。
「視界が変わると、生きる力が湧いてくる」みたいなナレーションと共に、一人称視点でベッドの頭部分が上がっていくと、そこから見えたのは小さな孫(ひ孫?)の姿。
そして爺さんがキリリとした顔(繰り返しますが化粧バッチリ)でどこか遠くを見ながら、深く頷きます。

もうゲンナリしてしてしまいました。
これほどまでに薄っぺらい人間像が、介護に対する理想のイメージなのだなと脱力します。
こんなものは現実ではあり得ないし、理想でもありません。
私がいた施設には生まれた時に親から捨てられ、天涯孤独で生きてきた婆さんもいましたが、そういう人はこの会社にとって「お客さん」ではないのですね。

私が介護製品の販売会社や広告会社、そしてその背景にある世間に対して言いたいのは、たった一言です。
人間って、もっと複雑なんですよ。

前回の私の投稿を読んで、皆様はどのように感じたでしょうか。
正直、あまり快く思わなかった方もおられるかもしれません。
ハゲ爺さんに対する態度など、私自身も決して良いものだったとは考えていません。
でもその爺さんが小便を撒き散らした後、怒りながら後始末をする私に対して「うへへぇ」と、どこかきまり悪そうに笑うこともあります。
それを見ると私も「ったく、しょうがねえなあ」という、諦念から発する奇妙な情が湧くこともあります。
その後も相変わらずムカつくときはムカつきますが。

一人の人間に対して、憎いときもあれば愛しいときもある。
私自身も日々変化して、利用者一人ひとりに対する接し方が変わっていく。
その変化は良い方にも悪い方にもなり得ます。
「介護」は私とジジババたちを結び付ける基点ではありますが、そこから先の関係性は一個の人間同士のやり取りなのです。
そこには先述のCMで展開された、浅薄でインスタントな幸福像では到底描けない、様々な感情があるのです。

介護は非常に難しい仕事です。人間そのものですから。
介護事業を「献身」とか「幸福」という理念を基にしたシステムで縛り、介護士の給料を不当に低く設定している役人たちには、ここのところをよく考えて欲しいです。
「介護職が不足しているから移民を充てましょう」など、介護を馬鹿にするのも大概にしろと言いたい。

前回と同じ結論になってしまいましたが、つくづくそう思います。
(ゾウムシ村長さん)

 



介護職の難しさを、つくづく感じさせられます。

その難しさ、複雑さを理解するためにも、フェイクでない限りは、たとえ不快感を伴うものであっても、現場のリアルを伝える情報であれば公開する価値はあるものと私は思います。
そうでなければ、薄っぺらいイメージだけが流布されることになるのですから。

トッキー

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